Ⅱ.~2009年12月

~2009年12月 一覧

前々から体の不調を訴えていた母が、
医者である叔父に言われ検査を受け、子宮頸がんと判明したのが12月中旬
その日のうちに「つらい治療はしない」と宣言しました
クリスマスに抗がん剤のために数日入院し、
その後ひどい吐き気・倦怠感がありました
その辛さに弱気になっていた母ですが、
マクドナルドのシェイクを飲めるようになったのをきっかけに
少しずつ食欲を取り戻していきました

病気がわかる前は「たくさん遊んで、ボケる前に病気になって死にたい」と
言っていた母ですが、病気になって抗がん剤のつらい副作用の間
「健康だから言えたこと。こんなにつらいなんて思わなかった」と言いました

元々仲の良かった父・母・祖母ですが、
病気がわかる直前は「とにかくイライラする」と父と祖母に八つ当たりしていました
病気がわかってからは、家族仲がよくなり、祖母と和解できました

~病気がわかるまで
12/9~11 婦人科受診
12/15 子宮頸がんと判明
12/20~22 病気とわかってから
12/23~ 抗がん剤点滴と副作用

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12/23~ 抗がん剤点滴と副作用

12/23(水)
今病院にいる
うなぎを食べてきた
婦人科

自筆の日記
20日のよりも字が歪み、鉛筆で紙をなぞっているような薄い字。「婦」は読めないほど。
字を書くのが嫌になったらしく、自筆の日記はここまで。

抗がん剤のための入院の日
病院へ行く前にうなぎ屋に行き、長焼きをスプーンで食べる
母曰く「清水の舞台から飛び降りる気持ちでおごってあげる」
その後まだ時間があったから近くのネットカフェに行って、漫画を少し読む。便通があった
母がたばこを吸った最後の日になる。

ここ1週間で歩くのも急につらくなり、右足は引きずるようになったので
病院内は車椅子で移動

12/24~
抗がん剤の点滴、約9時間
終わった後は腹痛もなく調子がよくて、「もう効いた気がする」と言うほど
(実際副作用が出るのは翌日~2週間)

25日 午後から副作用が出始め、体がだるくて起きるのがしんどい
26日には退院するが、倦怠感のため食事もできず、寝ている

数日は水分をやっと取れる状態が続く
マクドナルドのシェイクを買ってきてみると1本飲みきり、
これからしばらくは毎日1~2本のシェイクを飲むようになる

ひどい倦怠感が続く中で、「おばあさんに謝らないといけない」と思い立ち、二人できちんと話をする。

30日 名古屋(在所)からおねえちゃん(母の姉)が見舞いにきてくれる
長いこと話し込み、晩に近所で買ってきた寿司を食べてもらう。
母用にネタを小さく切って、ミニ寿司を作ると喜んで、2個ほど口にした

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12/20~22 病気とわかってから

12/20(日)
M-1グランプリを見た
パンクブーブーが1位!
そのあとインデペンスディー
今日は小さいテレビだった
昼はハンバーグ(やよいちゃんが買ってきてくれた)

新しいノートの1ページ目、母自筆の日記
歪んで斜めに書かれた文章だが、鉛筆に力が入っていて濃い字
闘病日記をつけようと思い立ったらしいが、私がノートに気付いたのは後日

母の部屋は2階で、自室でテレビを快適に見れるように
リビングの大きなテレビを母の部屋に移動し、リビングに小さいテレビを置いたが
2階に上がるのがしんどいので1階でテレビを見る。
結局リビングで寝るようになり、後日元通りリビングに大きいテレビを移動する

12/22
抗がん剤で脱毛するので、抜けたときのショックをやわらげるため髪を切りに行く
「わかってても、やっぱりズルズル抜けるのは見たくない」
肩にかかる長さだったのをベリーショートにして、眉も整えてもらう
ガストで食事をし、母はサンドイッチを食べた

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12/15 子宮頸がんと判明

12/15
朝実家に行くと「昨夜電話があった。やっぱり子宮がんだって。」と言った
ただこの時点では”子宮がんなら子宮を取れば治る、転移は抗がん剤で防げる”という思い込みがあった
M病院には叔父にも来てもらい、3人で話を聞きに行く
待合室で叔父に「最近右手がうまく使えない」と相談すると、後日脳神経外科も受診しようということになる

婦人科では詳しい話・難しい話もあったが、要点は以下
・がん自体がもう大きくなっている(ステージ2)
・手術が難しいところにある、膀胱に拡がる可能性もある
・リンパにもいっている。転移している可能性がある
・治療方法としては抗がん剤・放射線がある
 何度かやってみて経過を見ないとなんとも言えないが、
 がんが小さくなる可能性は十分ある(抗がん剤は転移のがんにも有効)

話を聞いていて私は頭の中が真っ白になる感覚があった
母も茫然自失というかんじで、今はとにかく考えられないからゆっくり家で相談することにするということで病院を出る

車に乗ってから「どうしてこんなことに」としばらく泣き、
だんだん落ち着いて「つらい治療ならやらない。少し早かったけど、予定通りだと思うことにする」と決める

この日の夜、母・私・父・叔父の4人でこれからのことを話した
父とよく話すのは久しぶりだった様子
叔父に「字が下手になった」と、書いて見せる

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12/9~11 婦人科受診

12/9
婦人科受診
一人で行くのは気が重い(内視鏡がつらい)ので、私の車でM病院に。
診察をして、明日あさってで画像撮影(CT、MRI)をすることに。
細胞検査でかなりグッタリしていたが、
「だからこそケーキ食べて帰る。おいしいとこが近くにあるから教えてあげる」。

帰り道でケーキ屋に寄って、何年かぶりに母にご馳走してもらいました。
というのは母は極度のケチで、自分一人で楽しむ時以外は自分の財布からは滅多に出さない。
私は、母にお小遣いをもらった記憶も、二人で外食に行った記憶もほとんどありません。
なので運転手をした小遣いだとしても感激し、父に「お母さんがケーキおごってくれたの!」と言うほどでした

12/10
CT撮影
ダンスレッスンの帰りに寄れるということで、私は付き添わず母が自分の運転でM病院に。
仰向けで寝るとおなかが痛むため、撮影の間つらかった様子
「(ぼーっとして)帰り道で事故しそうになった。運転が怖い」と言うので、明日は付き添うことにする

12/11
MRI撮影
昨日のCT撮影のこともあり多少は覚悟していたものの、CTよりも時間が長いので
やっと終わったときにはへたれこむほど。
何の説明もなしに30分も寝かされて、その間楽しくお喋りしてた技師にひどく立腹していた
「もう2度とMRIはやりたくない」「おなかは痛むし、いつ終わるかわからなくて怖い」

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~病気がわかるまで

母はダンスが趣味であり、教える仕事をしていました
ダンスを教え、家に帰ると愛猫4匹が迎えてくれる
父とは”喧嘩するほど仲がいい”そのもので、外食に行けばそれでご機嫌。
姑(祖母)とは食事や温泉に毎週行くほど平和なものでした
私は長年住んだ京都を離れ、実家の近くで一人暮らしをはじめたところで、
週末の温泉や食事にはよくついて行きました
とてもケチで、自分は出さずにいつも祖母に出してもらっていました

無類のケーキ好きで、毎日2~3個のケーキを食べていました
華奢な体系で、ケーキをそれだけ食べても太らない、羨ましい体質でした
スリジェダムールのケーキが特に好きで、昔スリジェが店舗を新しくした時
父が「スリジェの階段(のお金)は君が出してる」と言ったそうです

2009年秋ごろから母の様子がおかしくなり、ささいなことでイライラし
もともと人付き合いが好きではなかった性格に拍車がかかって近所や親戚を嫌い
父や祖母とは顔も合わせない日が2ヶ月ほど続いたようです
祖母が母に話しかけて何度も怒鳴られたので怯えるようになってしまいました
週末の食事&買い物は私と祖母の二人で行くようになったので、
母は買ってきてほしいものリストを作るようになりました

私に対してはそれまでと変わらない態度だったので
このころ実家がどんな様子だったのか正確には知りません
このころの母は、好きなタレントの話や愚痴などを何時間でも喋りたがり、
猫をじゃらしながら上の空で聞いていても
「やよいちゃんは話をずっと聞いてくれるから好き」とよく言っていました

この頃、「おりものがある。しばらく前からたまにあったけど、最近はずっと」と
何度か聞かされました
更年期障害がぶり返してるからイライラもするんだと話していて、
特に知識のない私は「ああそんなものなのか」くらいにか思っていませんでした
腰が痛い、タバコをうまく持てない、頭がぼーっとすることがある等、
今思えば症状が出始めている内容も
トシだねー疲れてるんだねー更年期障害だねーと聞き流していたことが悔しくて仕方ありません

白内障を患い、1月に手術を予定していた母は
「12月でダンスをきっぱり辞める。
手術したら目が良くなるから、ひたすらテレビとお笑いDVDを見る。
貯めたお金で一人で外食に行ってブラブラして遊ぶ」
と宣言していました
「ボケる前に病気で死ぬの。10年くらい遊べば十分」とよく言っていました

医者である叔父(父の弟)の病院で、白内障の手術に必要な検査を受けたのが12月初旬
そのとき叔父に「おりものがある、おなかと腰が痛い」と軽く相談したところ
叔父はすぐに気付いて「ねえさん、すぐにM病院に行って検査しなさい」と助言し
病院嫌いで健康診断も行きたがらなかった母がやっと検査を受ける気になりました
*M病院・・・叔父が提携医になっている総合病院

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